防衛庁汚職疑惑


特殊機器を発注し、そのほとんどが特別価格である防衛庁という特殊な環境で起こった過大請求を防衛庁が承認し、その見返りとして防衛庁幹部などを天下りという形式で受け入れていたという汚職事件の俗称。1998年9月6日に地検は、防衛庁元調達実施本部長らが減額見返りに、東洋通信機に天 下り受け入れさせ、天下りで東洋通信機器に努めていた防衛庁OBの勤務実態は俗に言う「ぶら勤」状態であったにも係わらず年収700万円を得ていたことに注目し、これは金銭提供に当たるという疑惑で防衛庁背任容疑で逮捕された。1998年9月7日には、NEC子会社「ニコー電子」の返納法もNECの新井容疑者の指導で、東洋通信機と同様に1997年度以降の契約から差し引き、返納額の金利も、より低い市中金利を適用していたことが判明した。さらに防衛庁への過大請求をめぐる背任事件で、東京地検特捜部は防衛庁所管の「防衛生産管理協会」やNECの関連会社などを捜索し、天下った上野容疑者の報酬と返納額の減額交渉との関連を調査しはじめた。NECグループ2社の返納金は調本とNECの決定に従ったと関係者が1998年9月9日に証言し、焦点はNECの組織的関与に絞られ、元防衛庁調本副本部長が天下りした団体へのNECの出資も明らかにしていくことになった。さらに疑惑は東洋通信機が防衛庁へ過大請求した事件では、会計検査院が約40億円の過大請求を突き止めたが、検査院幹部から調査中止の命令が出ていたことも判明した。これは、1997年秋に国会で「問題なし」と答弁した検査院にも虚偽があったのではないかという疑惑まででてきた。1998年10月10日には、防衛庁背任事件の上野憲一容疑者が東洋通信機の返納減額に対し、防衛庁OBの天下り、ごまかし顧問料ともいうべき自身の顧問料、会計検査院OB受け入れ、検査院幹部子弟の社員採用の4つの条件を出していたことが判明した。1998年10月10日に東京地検特捜部は、元NEC常務の永利植美容疑者ら4人を東洋通信機の返納額の減額工作に組織ぐるみで加担した疑いがあり、背任容疑で逮捕した。1998年9月11日には、東洋通信機の返納額を減額する交渉は、逮捕された永利植美容疑者が中心になり、防衛庁と直接合って進めていたことが判明し、NECの組織的関与が鮮明になってきた。1998年9月12日には、東洋通信機の防衛庁への返納額は一時6億円に減らしていたが、疑惑が大きくなってきたためあわてて増額するずさんさで、「10億円程度」にすることは防衛庁調達実施本部の元副本部長上野憲一容疑者から指示があり、理屈はあとで付けたしたにすぎないことが判明した。1998年9月20日には永利植美容疑者が、東京地検特捜部の調べに対して容疑を認める供述を始め、NECの官公営業支配人、元防衛事業推進室長の2人も容疑を認めた。防衛庁は1998年9月13日に、このような疑惑は初めてのことであると会見で話していたが、防衛庁OBの参院議員ら3人の政治団体に、防衛庁の調達登録企業延べ56社から1997年の1年間に計1600万円の献金があったことが分かった。また、この3人の国会院議員への献金は、7割が防衛産業からの献金であったことも判明し、このような疑惑は20年以上前から浮上し、すでに国会でも追及されていることが判っていることから、防衛庁の調達実施本部の構造的体質の疑い濃厚といえる。1998年9月14日には、防衛庁が「返納額減額は裁量の範囲」と背任を否定する上申書を1998年7月に、東京地検に提出し、強制捜査前に関係書類を処分した証拠隠しまたは隠滅の疑いまでが出てきたため、東京地検は防衛庁の庁調達実施本部などを再捜索し、現職の大越康弘運用局長らにも出頭を求めて本格的な事情聴取を開始した。1998年9月17日には証拠隠滅疑惑問題で、防衛庁調達実施本部の職員が資料を自宅に持ち帰っていたことが判明し、不要文書と共に燃やしたかどうかという資料焼却疑惑については、調査中と額賀防衛庁長官が発表した。しかし、その日の夕方には、秋山昌広事務次官が東京地検の捜索直前に、 調達実施本部の資料を海幕に移したことを認め、1997年9月と1998年5月には資料を焼却していたことも判明し、防衛庁の組織的証拠隠しが濃厚になってきた。東京地検は1998年9月23日に、防衛庁調達実施本部現職の石附副本部長が部下に指示し、事件関係書類を海幕に移動させた疑いが強いため、移動の目的など、再聴取することになった。総務担当副本部長が庁内調査委員会に事後報告で、防衛庁資料が防衛庁調達実施本部の親族宅にも預けていたことが1998年9月24日に判明し、ますます防衛庁の組織的な証拠隠しが明らかになった。1998年9月29日には捜索前に調達実施本部から搬出された資料の中に、過大請求の経緯まとめた書類や聴取された職員からの聞き取り書類、捜査の方向分析や公判対策検討用書類、聴取想定問答州まで有ったことが判明した。1998年9月15日に沖縄を訪問していた額賀防衛庁長官は、市内で会見し、一連の防衛庁不祥事について陳謝し、「透明性と公開を原則に改革を断行したい」と強調したが、責任問題には具体的な言及を避けた。1998年9月16日には額賀防衛庁長官が次官の責任は重いとして、秋山昌広事務次官を更迭する方針を発表した。しかし、防衛庁内では調達実施本部の幹部が、防衛庁内の意志統一を図るために「検察制度も背任がある」「薬や化粧品も原価の100倍以上している」など、東京地検の捜査に対抗した内部文書を作成し、防衛庁内で配布していたことが判明した。この内部文書から、防衛庁には全く反省の色がないことを露見したことになる。小渕恵三総理大臣(当時)は防衛庁の背任事件などで元幹部職員から逮捕者が出たことに対し、遺憾の意を表明するとともに、国民の信頼を回復させるために徹底した再発防止策を取るよう指示した。政府は捜査一段落後に秋山昌広事務次官の後任として、大蔵省(当時)出身の江馬内閣安保・危機管理室長を充てる方針を発表した。1998年9月22日には、防衛庁の調達実施本部の元副本部長上野憲一容疑者らが、NECの子会社ニコー電子の過大請求でもNEC主導で返納交渉を行い、返納額を減額していた疑いが浮上したため、東京地検特捜部が本格捜査に乗り出し、1998年9月28日に東洋通信機事件で起訴の元NEC室長新井被告が担当し、NEC主導でニコー電子の防衛庁返納額圧縮交渉が実施されたことが関係者証言で判明した。1998年9月22日に東京地検は、東洋通信機の当初返還額29億9100万円を8億7400万円まで不正減額したことに対し、国に損害与えということで、防衛庁元調本副本部長ら4人を背任罪で起訴した。また、前防衛施設庁長官の諸冨増夫容疑者を約21億円の損害与えた見返りに天下り強要したとして、東京地検が起訴をした。さらに1998年9月27日には、返還額8億7400万円の返納を計185件の新規契約に分散してもぐり込ませていたことが判明した。1998年10月1日には、「ニコー電子」の過大請求発覚後、元防衛庁調本副本部長の上野憲一被告は、ニコー電子の役員8人全員の解任を親会社のNEC側に迫り、NEC側は対応に苦慮した結果、ニコーの社長ら3人を引責退任させることで決着したことまで判ってきた。1998年10月2日には押収した書類の中から、ニコー電子の返納減額で特別扱い受けたと認識していたことが明らかになる「格別のご高配をいただき…」という、NEC常務が元防衛庁調本副本部長の上野憲一被告に礼を述べたときのメモを東京地検が押収した。さらにそれらのことに関し、元調本本部長の諸冨増夫被告は元副本部長の上野憲一被告から報告受け、不正査定を把握していた疑惑が表面化し、1998年10月4日にはニコー電子の社長らの退任と減額について、元防衛庁調本本部長諸冨増夫被告と親会社NEC常務とのトップ会談で決着していたことが判明した。1998年10月6日には、諸冨増夫被告らは返納額を6分の1に圧縮し、自らへの責任発展を恐れて「秘密裏の処理」を親会社NECに指示した疑惑まで出てきた。1998年9月24日に防衛庁背任事件で再生策を話し合う防衛調達制度調査検討会の初会合が開かれたが、張本人で出席予定の秋山事務次官と藤島官房長は、子供が小学校をずる休みするときと同じ「食あたり」という理由で欠席した。1998年9月28日には秋山事務次官に続き、防衛庁の藤島官房長も更迭する方針を額賀防衛庁長官は決め、閣議報告で了承された。疑惑事件で調査中の資料の中から、NECからバッジ(自動防空警戒管制)システムの秘密文書が流出していたことが判明した。1990年にフィリッピンで売却寸前に押収されたが、防衛庁はこの事件を公表しないでNECに2か月間取の引停止という軽い処分で済ませたませたことまで表面化した。また、1996年頃にはNECが、研究開発費が認められないことなど、防衛庁装備品の過大請求問題で調達実施本部に過大請求せざるを得ないことを前提とした批判の内容の意見書を提出していたことまで表面化した。また、内部の文書の中にはNECが過大請求を自ら認める内部文書を2度にわたり作成し、労働時間などを膨らませることで請求金額と正規価格より多く請求していたことが判明した。それらの資料から、過大請求総額1数10億円にもなることが判明している。さらに元調本副本部長上野憲一被告は退官後に、過大請求会社の未公開株約5万株を購入し、その資金1800万円もその社長から無担保で、利子や返済期限の取り決めもなしに借金して購入されていたことが判明した。調本システム指名停止の動きが広がり、組織としてのけじめを迫られたNECは1998年10月23日に、関本忠弘会長が辞任し、相談役に退く人事を発表した。同時に関本忠弘会長は、経団連(日経連と経団連は2002年5月28日に統合して日本経済団体連合会になった)評議員会議長など約200の公的な団体の役職も退くことになった。金子社長はそのまま続投することになった。NECは1998年10月6日に、URL(http://www.nec.co.jp/japanese/today/newsrel/9810/0602.html)で、背任容疑でNEC元専務取締役の島山博明とNEC支配人の柳瀬武紀が逮捕された件と、NEC元専務取締役永利植美、NEC支配人長澤 弘、元防衛事業推進室長新井秀夫が再逮捕された件に関し、誠に残念であるというコメントを掲載した。このように全体を俯瞰すると、NECとその関連企業の過大請求問題も大きな問題であるが、それ以上に防衛庁の不透明な体質に根本的な問題があり、それを押し隠すために防衛庁の命令系統まで利用されたことが明確になる。得にハイテク関連では、特殊機器の単品開発が多く、民間企業がそこに参入するために防衛庁の命令系統に振り回され、最後にはそれを秘密裏に解決するために防衛庁が右往左往している様子が判ってくる。このような体質を国家機関が持っている限り、国を信用するということが不可能になり、政治離れを国民の義務を忘れたなどと評論家がいうこと自体滑稽にもなる。これまでも多くの商社が企業のためという建て前で、多くの逮捕者を出しているが、そろそろ根本から考え直す時期に来ているのではないだろうか?という意見も多いが、そこに金銭が絡むと闇雲になる日本商社の体質からはほど遠い目的なのかも知れない。ここに登場した人物が、どこかの会社の役員に推挙され、何事もなかったように、または英雄のように振る舞う時期も近いことだろう。マスコミも忘れるために記事を書いているともとれる行動が多く見られ、悪魔のように書かれた人がちゃっかりその企業の関連会社の役員になることも多く、あれはあれ、今後ともよろしくお願いしますなどと調子の良い「大人になる」が誕生することになる。NECは1998年11月9日に「防衛庁との取引に関する過大請求問題について」という6日付のリリースをURL(http://www.nec.co.jp/japanese/today/newsrel/9811/0601.html)で公開した。NECはさらに宇宙開発事業団との間でも問題があったのではないかというニュースが流れたため、急遽、1998年11月9日に宇宙開発事業団(NASDA/National Space Development Agency of Japan/当時)とNECの契約に関する調査報告を公開した。NEC側はどんどん情報を提供しているにも係わらず、防衛庁や宇宙開発事業団(当時)側からの情報公開が一切ないことに、国家の情報公開の意識の低さを感じる。とくに国を守るという大前提がある防衛庁は、自分のところに問題が波及しそうになると、もみ消し策として、集団で証拠隠滅、企業責任者の解雇要求などを図っていたという軽薄な行動までが明るみに出るなど、およそ国を守るという大義名分からは想像できない卑怯さが表面化し、このような機関に国民の血税を利用して国を守ることができるのか、自衛隊の戦闘機1機で何人の貧困な家庭を助けることができるのかなどを考えた場合、組織とその周辺全体を見直す必要まで感じる。NECは3日午前に臨時取締役会を開き、西垣浩司社長の経営方針を批判する発言を繰り返していた、元会長の関本忠弘相談役(76)の相談役解任を決議した。

[関連のURL]
●経団連(日経連と経団連は2002年5月28日に統合して日本経済団体連合会になった)のURL(http://www.keidanren.or.jp/japanese/news/announce/960724.html)
●東京地方税理士会「平成10年度税制改正に関する意見書」(長谷川博氏のページ)のURL(http://www.cyberoz.net/city/hirohase/zei4.htm)


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